和泉国総社 泉井上神社

境内のご案内

史跡
和泉清水、国府庁跡(現お旅所)、南朝戦死者の碑、和泉宮(元正・聖武天皇離宮)、小竹宮(神功皇后離宮)、総社本殿(重要文化財)
古記録
後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇綸旨・国宣、信長朱印状、今井宗久添状、秀吉朱印状・口宣案、その他
配祀社
事代主神社、大国主神社、菅原市邊磐坂神社(市辺磐坂神、道真公)、小竹神社(神功皇后)、 白鳥神社(天照大神、日本武尊)、和泉神社(五瀬命、元正・聖武天皇)、春日神社(天照大神、天見屋根命)、 勝手神社(髪授大神・美容、理容の祖)、熊野神社(伊邪那美命)

境内の文化財

和泉五社総社本殿
総社本殿 重要文化財
五社総社は、奈良時代に河内国から分離し、和泉国が設置された際、国府の所在地府中に、国内の五大社である大鳥、穴師、聖、積川、日根を総合して勧請し、参詣の便を図ったといわれている。
現在の本殿は、慶長十年(一六〇五)に、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したと伝えられるもので、国の重要文化財に指定されている。
正面桁行[けたゆき]三間、身舎[しんしゃ]側面二間、屋根が一間分前へ延びて庇[ひさし]をなす、「三間社流造[さんげんしゃながれづくり]」と呼ばれる形式で、桧皮葺[ひわだぶき]である。 正面と両側面には縁を廻して組高欄[くみこうらん]を設ける。向拝[こうはい]位置は浜床を張って半高欄[はんこうらん]を置き、五級の階段にも宝珠柱の立つ登高欄[のぼりこうらん]を設けている。また、内部は内外陣境を三枚の両開き板戸で分かつ。
主要部分は丹塗りで極彩色を施し、よく当時の様式を残しており、造営時期が明確な社殿として貴重である。
石造板状塔婆
石造板状塔婆 大阪府指定有形文化財(昭和45年2月20日指定)
砂岩製の板石で造られた塔婆で、一般には枝碑とよばれ、供養追善のために建てられたものである。
上部の梵字は、バク(釈迦)、マン(文殊菩薩)、アン(普賢菩薩)の釈迦三尊種子[しゃかさんぞんしゅうじ]をあらわす。下部に刻まれている銘文は、ほとんど消えており判読できないが、わずかに正平三年五月(1348)の年号は読め、南北朝時代のものであることがわかる。
もとは神社南方の和泉寺跡にあったものを昭和七年頃に現在地に移したものである。
府下では数少ない板状塔婆の中で特色ある形式を示しているものであるとして、大阪府文化財に指定されている。
和泉清水
和泉清水 大阪府指定史蹟(昭和52年3月31日指定)
古くから「国府清水」または「和泉清水」とよばれ、霊泉として祭られるとともに、農業用水として周辺の農地を潤してきた泉である。
社伝によると、泉は、神功皇后の新羅出兵の際、一夜にして湧き出たことから霊泉として祭られるようになったという。
水は常に清らかに澄み、その味は甘露であるとして広くその名を知られ、豊臣秀吉も大坂城に運ばせて、茶の湯に用いたという。
ここは古来、和泉国和泉郡和泉郷とよばれた地であるが、「和泉」という地名も、また「泉井上神社」の社名もこの泉に由来すると伝えられている。